すみま千円(漱石のほう)

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江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章

江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章
江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章 大塚 英志

筑摩書房 2001-11
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文学は、江戸から明治へ激変を遂げた、近代化と格闘しました。
例えば江藤や大塚は、私人と歴史との軋轢から生まれるものを文学とします。

最近のゆゆしき風潮として、そういうことなしに一足飛びに改憲したり、教科書をつくりかえたりするのは駄目とか、政治が混じり微苦笑です。

文学と9条の話が、一緒くたになっている辺り、ある意味、永遠のゼロで泣いて鼻水たらす右翼と、同じ穴のムジナで、文学を政治で汚すことに違いありません

 

が、文学は時代と寝る、そもそもそういうものなんだ、というのが彼のスタンスです。

ストーリーを利用するファシズムに対抗して、左からの、ボトムアップファシズムしていますが、その先をどこへ持っていくかは、個人に任せる姿勢なのか。

 

あらゆる文学は時代と寝ている、しかしそうではないという笙野頼子などの批判もあるけれど。

大塚にクレームをつけた飯野頼子は、男目線で少女を売り物にするなと怒ったのかもしれないですが、

文学も、文字上に載せることができる数少ない情報として、性差を喚起してイメージ利用します。

写真と同じで性差は際立ち、自分から女性性を売りにする女流作家はひきもきらず、本を隔てて対峙している限り、性差の幻想は埋まりません。

性差は、直接話をしたり一緒に仕事をしたりしないと、男も女も同じ人間と言うことが分からず、なかなか解消しません。

 

江藤、大塚は、2人とも自称フェミニストだそうですが、ただ女性(確信犯的に売りにする熟女、オバサン)と、少女は違い、彼らの掲げるのは少女です。

もしかして大人の女性=女流作家などとは真っ向から対立したりするのか、誰かフェミニズム文学マップでも書いてください。

 

同じ左翼の上野千鶴子は、少女からオバサンを抜かしておばあさんに進化した人です。が、女性を差別しない法律などを整えるべきだという、マルクス主義者だから、話がかみ合わないのか。

上野千鶴子がカリスマになったのは、スター性と理論性もさることながら、少女とおばあさんという、人から嫉妬されないクラスタに自分を置いたこともあると思います。

 

彼女は働く女性の権利を主張しましたが、大人の女性のように、性差を確信犯的に利用して男性を搾取するテクニックを避けてきました。それが本書の描く少女フェミニズムです。自分の性を忌諱し、もしくは受動し、怯える女性です。

元々漫画畑の大塚さんは、難しい評論を放棄し、一段下へ降りて語り、漫画、文学読者と両方取ろうとしています。


文学がアメリカと格闘するのは、新興国を中心とする世界中の潮流で、オリジナリティは無くなってきました。

J文学(死語)は、そのフェーズは過ぎています。

あと海外では、ある意味アコギな大人の女性が多く、少女というのは、経済的保護下に生じる、特殊カテゴリだと思います。