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プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える

プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える
プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える アネット・シモンズ Annette Simmons 池村千秋

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最初に出てくる例はビジネスシーンで、傾きかけた会社にCEOが乗り込み、最悪の雰囲気です。しかしCEOはそこで、自分がはじめてサラリーマンデビューしたときに失敗とその教訓を紹介し、自分はハゲタカではなく、一緒に会社を再建していくつもりだと社員に語りかけ、トゲトゲしい雰囲気を和らげます。

芸人の本なんかで、人生で失敗したら、ああこれネタにつかえるでーと思っておけ、みたいな人生訓に似ているか。

アメリカだと幼稚園から始めるそうです。

自分は何が好きか、何故好きか、人前で話をして、理解してもらう練習を繰り返します。

 

私は何者か、というストーリー。私はなぜこの場にいるのか、というストーリー。ビジョンを伝えるストーリー。スキルを伝えるストーリー。価値観を具体化するストーリー。あなたの言いたいことはわかっている、というストーリー。

 

ただ、こういうストーリーは認めない、というのを公的に決めた場合、抑圧装置にもなります。

アメリカはレッドパージをしますが、共産圏でいう自己批判と似ています。

 

自分のストーリーを語ることは身分に関係がないので、使いやすいといえば使いやすいです。社長と清掃員が一瞬で心を通わせることができますが、

その手の日本型経営も上から画一的ライフスタイルを押し付ける封建主義だと言われ、

宗教原理主義者は互いに自分のストーリーを他人に押し付け合い、殺し合いをします。

 

例えば全員が自己PRのためにやりはじめたら相当ウザイんではないだろうか。就職面接の、「最近感動したことはなんですか」「学生時代にやり遂げたことはなんですか」とかにも似ているか。

 

例えば意識高い系の職場があるとします。

渡辺ミキティみたいな人が、バイトは全員ストーリーを語ってもらう、と言い出す、感動の研修です。で、ワタミ(仮名)のバイトってどう、などとネットで話題になる、みたいな流れです。本書にはヒトラーがでてくるし、浅原彰晃なんかも上手そうです。池田大作とか。

 

あと、日本は、そういう社会にはあまりなさそうと思いました。飲みにケーションが大手を振って歩いていたように、自分語りは嫌われます。コンビニのアイスケースに入って炎上の人なんか損害賠償背負って人生潰したんで、ストーリーにはならないだろうし、シャレにならない。ストーリーの基本は、トラブルが起きる→克服する、ですが、空気を読んでいれば平穏な日々が続き、そんな衝突は起きえません。


あとは、日本で最近人気があったのは、橋下、小泉、全てワンフレーズの人で、ストーリーテラーとは違う気がします。安倍、麻生は本を書いているけど、それは日本への愛着を語ったもので、自分の人生ではありません。

 

彼らが恵まれているのは当たり前で、それが既に生活インフラはあって新しい職場のない世代にウケているのですが、

二世政治家だったら語れる人生なんかないだろう。血縁政治と汚職の蔓延る新興国でもそうだし、アメリカでもブッシュとかかはどうなんだろう、と思います。

酒びたりになってキリストに救われたとか、それもシャレにならない、

本人は良い話だと思って書いたみたいですが、そもそもこう言っては何ですが、酒浸りになる人には、まともな予後が待っていないのではないでしょうか。

父さん、ヤク中だったんだよ、今はこんなに元気だけどね、なんて話、聞いたことがないです、それはただの精神薄弱です。

 

例えば天気の話しかできないくらいタブーと気遣いの多いイギリス人から見て、アメリカ人の自分語りはウザイと思いますが、彼らは彼らで冒険心の養い方に苦心しているようですが、そして諜報オタクになってしまった、とか。

心臓の毛の生え方なんて、ある程度生まれつきですから、好きな方を選ぶべし、ですが。とりあえず、チャレンジ精神溢れる、強い自我を否定しないこと、挫折とそこからの這い上がりを温かく許容する、安全なプレイグラウンドを整えるところから、みたいな。ストーリー・テリングの生まれる社会資本はそこからです。わかりにくいことを書いてすみません。

 

世界への日本の自分語りについても、日本人がオナニーして気持ちのいい話ばかりが日本のメディアに流され、危惧されるところがたくさんあります。でもそういうことを書くと、逆に回って、鬱陶しいナショナリストと同じになってしまうので、それはどうでもいいです。

自分が外人と対峙したとき、日本人どうのこうの関係なく、個人として評価されるように頑張るしかありません。