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現代文明論講義 ニヒリズムをめぐる京大生との対話

現代文明論講義 ニヒリズムをめぐる京大生との対話 (ちくま新書)
現代文明論講義 ニヒリズムをめぐる京大生との対話 (ちくま新書) 佐伯 啓思

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東大は権力で京大は悟りなのか?

「人権」すら権力者にたいする弱者の「力」の発露でしかない、といったのがニーチェニヒリズムです。

その弱者のルサンチマンを克服するために日本の「無」の思想をとか、書いてあることは適当でした。

権力者の欲望か、庶民の欲望か、どちらを「無」にするかで変わってくる、胡乱な話です。

日本の哲学界は戦中の1942年に、近代の超克という座談会を催して、内容は壮大に失敗しているそうですが、大して変わらないです。

平和の要諦が「無」なら、日本人を「無」にして(生殖をやめて)、アジア地域の争いをなくすとか。それもありか。

1人だけ乗れない救命ボートの話を京大のゼミですると。
争い合うというリバタリアニズムに賛成なのが5人。
全員死ぬというリベラリズムに賛成が0。
特定の人が死ぬという功利主義に賛成なのが24人。
くじ引きに賛成なのが8人。

リベラルは、直感的には因習からの自由を意味することが多いですが。

ここで、全員を助けるというのは、どちらかと不自由ですが、それを何故リベラリズムと呼ぶのか。

旧来型の社会では、どうしても奴隷が欠かせず、そこからの自由ということで、リベラリズムと呼ぶのか。

現代では、レンガ積みや掘削など、奴隷のやっていた作業は、機械が代行しつつあり、奴隷労働を強いられる人は、減るような気もしますが、

その割に底辺階層が増えたのは、人口爆発して労働者の給料がダンピングされているせいだと思うのですが、まあそれはそれです。

無の思想が足りない。うむ。

人を生かすのが政治哲学かと思いきや、誰が死ぬかを決めるというのは新しいです。既に生きている人を殺すのは危ないので、なるべく生まれないようにするしかない。去勢しましょう。ということか、どうか。