岩佐 大輝
ダイヤモンド社
2014-03-24
被災地の人々がどれだけ絶望と戦っているのかは、想像もつきません。田舎では勉強のできた人はみんな外へ出て行ってしまって、地元の経済の立て直しなどもどうしたらいいかわからないことが多いそうです。著者は起業家だったので、被災地でも自力で収益を上げていくことができます。
「うまくいっているときに差はつかない。勝負を決めるのは困難の中に何かを見出し、実際に行動するかどうかである」(30ページ)
最初のほうは精神論が書いてあるのかと心配しましたが、本文には実際の行動が次々に書かれていて、読みやすいです。著者は被災前から事業をしていて、MBAをとったりしているので、行動の仕方をしっています。それが被災して地場産業全滅といった現実の中では魔法のように見えます。設備投資をして品質を高め、労働環境を改善して労働者を集め、ブランディングをし、着実にマーケットに届くように工夫します。
著者の実家のあった山元町は、イチゴ栽培が主な収入源でしたが、津波で塩水が浸水し、栽培が難しくなりました。とはいっても、元々のイチゴ栽培も、燃料費の高騰などが重なり、栽培農家の収益が減り続けて、下り坂の事業でした。ただ復興させるだけでは、埒があかないと著者は考えます。
地方は昔から特産品で勃興していました。ベネチアはベネチアングラスというガラス製品、平泉は馬を特産品にしていました。
イチゴなら山元町の多くの農家にノウハウがあり、気候も栽培に適していることがわかっています。イチゴはポテンシャルのある果物でした。ミカンの消費は一時期の半分くらいに落ちていますが、イチゴは伸びています。
著者はイチゴ栽培について素人だったので、被災した農家を含めた、多くの人に話を聞きにいきます。先に自分でも勉強して行けば、より真剣だとみなされ多くの話を聞くことができます。
井戸水を掘ってみたり、ハウスを建てたりといったことも、実際に行動し、周囲に助力を頼み、筋があると認められるようになります。
著者はマーケティングと研究を視野に入れます。
というのも、大半の農家は、研究もマーケティングも農協に任せ、ただ作るだけです。
そのため品種や売り方に工夫が効かず、どれだけ多くを安く作れるかに依存し、人件費や燃料費がつねに収益を圧迫します。
農協経由で売れば、イチゴのパックに山元町とは書けず、宮城県産としか表記できない決まりです。
著者はオランダにも視察に行き、スマートアグリと呼ばれるテクノロジーを導入することにしました。
旧来型の農業では、経験でしか農作業ができず、収入の割には重労働で、若手も寄り付かない状態になりがちです。
国や研究所もそうしたテクノロジーを後押ししています。5億円の設備投資が必要になり、融資と自腹での借金で賄いました。融資を受けるには、ビジネスの展望が魅力的である必要があります。
「説明責任で大切なのは、以下の3つだ。
①その仕事が儲かるか。
②潰れないか。
③社会的意義があるか。
そしてそれを、細かく、具体的に、流れるようなストーリーで語れることがポイントだ」(122ページ)
イチゴ農家の人件費の多くが、パック詰に使われているそうです。イチゴの値段は他の果物より高い印象がありますが、パック詰のコストだったのだろうか。著者はそれを避けるために、箱に入れるだけで成り立つような梱包方法を考えて、コストカットをしていきました。
著者は伊勢丹に売り場を持ちたいと考え、バイヤーと話をつけますが、味が薄いなどと厳しいダメ出しを受けます。
ある冬に高値で売れるクリスマスケーキ用のイチゴの注文を受けたのですが、寒くてイチゴが赤くならないというハプニングがありました。近隣の農家から集めたり、市場で高値で買って補填する羽目になりました。
彼らのイチゴは改良を重ね、伊勢丹で売ることが決まりますが、売り場に行ってみると、なんと一粒1000円で売っていました。
一般のイチゴの出荷は、摘んでから売り場に並ぶまでに3ー5日かかるので、まだ赤くならないうちに詰むことが多いそうです。彼らは独自に東京の市場まで運んでくれる運送屋を通したので、1日で売り場に届き、完熟してから摘んで、美味しい状態で手に取ってもらうことが可能になりました。
「農家はそれを逆算して、店頭に並ぶ頃にちょうどいい状態になるよう、イチゴが6〜7割しか熟れていないのにカットする。たしかにイチゴは「追熟」といって、摘んだ後も少しづつ赤くなっていくのだが、変わるのは色だけで甘味は乗らない」(170ページ)
インドのビジネスマンが日本に視察にくることがあり、被災地でもイチゴの栽培に成功しているのを見て、インドでもできるのではないかと著者に話を持ってきました。
インドのイチゴ栽培はソーシャルインパクトを持っています。多くの貧しい労働者に収入が得られるし、イチゴの消費市場は伸びています。
インド人は完成度の高いイチゴを、日本人しか作れないと思っていましたが、ノウハウを伝えるとインド人でも再現できることがわかりました。
彼らは、サウジアラビアにも進出しています。サウジアラビアでは、富裕層が高級なフルーツを消費します。砂漠が多いので食料は輸入に頼っていますが、少しづつ自前での栽培もはじめています。しかしサウジアラビアは観光ビザを出さないので、気軽に入国するのが難しく、一旦、断念しています。
「そもそも可能性のないときに波は来ない。波が来た時に乗らないと、その波は二度と来ないのだ。
今回のインド進出にしてもそう。話が持ち上がったとき、まだ被災地は停滞していた。そういう状況において、起爆剤となりえるようなニュースが必要だった。よくも悪くも落ち着いてしまった被災地に刺激を与えるためにも、インドにいくという意思決定をしたのだ」(185ページ)